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「せい」をアレコレ

性について(あるいは生や整や精など)について書きますよ!

ソローキン、おしっこ、憂国。

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昨日はアダルトビデオ映像における性のエンタメについて触れましたが、見世物としての性はそれだけじゃありませんでしたね。もっともっと多様化しており、原稿用紙2.5枚ぐらいの文字数には収めきれません。

見る性、についてはまだまだ話題が尽きそうにありませんので、後日また書きましょう。

 

と言いつつ、今日もある意味「見る性」の話題を。見る性というか、視覚障害のある方の場合は ”触る性” でしょうか。

すなわち文字であり文章で描く性の話ですね。

 

いや、たまたま、今日突然に、ソローキンの「おしっこ」が連発される作品 ( ウラジミール・ソローキン『愛』) を思い出しちゃったので、書いちゃうのです。

書いちゃうのです、ったって、ロシア文学に詳しいわけではなし、ソローキンを読破しているわけでもなし、じっくり語る資格などはワタクシ微塵もありませんけども、ミジンコぐらいの大きさの知識ならばございます。

 

上記の『愛』には、

おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。おしっこ。

……と、ある程度インパクトのある単語( おしっこ ) がこれでもかってぐらい繰り返されています。

 ここまでくると、もはや視覚への刺激じゃないですか。一般的な官能小説もそう言えなくはありませんけども、同じ単語を延々と繰り返すのと、官能を連想させる単語を手を替え品を替え披露していくのとは、またちょっと違う。

 

これを読んで、ロシアではこれ普通に出版されて、世間は、素直に素晴らしいと受け入れているんだなと羨ましくなりました。日本では翻訳された外国文学とした形で読まれるのであって、自国の作家が書いた文学作品であったら、どうなるのでしょう。どこまで許されるでしょうか。ロシア同様、いいじゃん!ありじゃん!って迎合してもらえるのでしょうか。

 

確かに日本は慎ましやかな人種なのかもしれない。ですが、江戸の頃の日本は大人と子供が一緒に春画を眺めていた事実がありますし、それが明治になり、近代と呼ばれる時代を過ぎ、大正を経て昭和の終戦直後の頃までは一部のようですが、地方には夜這いがありました。今の日本を想うと哀しくて仕方ありません。

 

はっ。話題が変わってしまった。

ソローキンのヤバい感じをお伝えして共有したかったのですが、憂国モードになってしまった。すみません。

 

どこか、なにか、常に、現代の日本には萎縮した性を感じずにはいられないのです。叶姉妹の思考回路があんなに受けているのに、私たちはどこか遠い目をしてしまっている気がします。

 

日本の性ヂカラを上げていきましょう。

 

歌川

 

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